私が開院した理由

あの時はただ、

母の笑顔を見たかっただけでした..

 

「頭が痛い..」

「気持ち悪い..」

「苦しい..」

また母親がトイレで吐いています。
私が物心付いた頃の母親の印象といえば、

「いつも頭痛に襲われ、トイレで吐いている」

そんな姿です。

母は苦しそうに口をゆすぎ、目には涙を浮かべながら、

「ゴメン、大丈夫だから、心配しないで..」

と言ってまた台所で僕達の夕食を作り始めました。

なぜこんな事になったかと言うと、私が生まれる前に母は交通事故で「ムチウチ症」になったからです。

軽トラックに乗って交差点で止まっていた所に、4トントラックが後方から突っ込んできました。

それから、今でも思い出したくはない、苦しい地獄のような日々が始まりました。

病院では強い痛み止めを処方されましたが、ほとんど効果がありません。そればかりか副作用で体中に湿疹ができてしまいます。

そしてムチウチの辛さだけでなく、耐えがたい痒みの為に皮膚を掻きむしってしまいます。当然皮膚は血だらけになっていました。

私はなぜ母がこんな目に合わなければならないのか?いつも葛藤していました。

 

「怒り」で体がブルブルと震えてきました

 

私が小学5年生くらいの時、父親の車に乗って出かけていました。

その時に信号で止まった時の事ですが、何気なく父親が、

「お母さん、ここの会社の人にぶつけられたんだよな..」

と一人言のように喋ったのです。

それを聞いた私は怒りが込み上げてきました。母親をこんな体にした人間が許せなかったのです。

当然会ったことも見たこともない相手なのですが、私は無意識に拳を握りしめていました..

しかし、小学生の私には何もできず、また苦しむ母を見守る生活が続くだけです。

しかしそんな母でも、1日の中でたまに笑顔を見せてくれる瞬間がありました。

私の実家は自営業を営んでおりますので、お客さんが来てくれます。そうすると母は満面の笑みで楽しそうに話をしているのです。

何も知らない私は、

「ああ、お母さん、今日は体調がいいんだな..」

「良かった〜、この調子がずっと続いてくれたらいいな..」

と喜んでいました。

やはり私は子供です..

それは母の演技だったのです。お客さんが帰ると再びトイレで吐いていました。自分が苦しい姿を他人に見せるわけにはいかないと必死にこらえていたのです。

 

父との二人三脚  

 

私と父は、よく交代で母のマッサージをしていました。当時の私は小学生なので、今の私のようにどこを揉んだら良いのかなんてサッパリ分かりません。

首や肩を押しながらただ心の中で、

「お母さん、治ってよ..」

と祈るだけです。父も同じ事を願いながらマッサージをしていたと思います。

..

ある日、私は3つ下の弟と先に寝ていたのですが、隣の部屋で父が母のマッサージをしていました。

その時に障子戸越しに会話が聞こえてきたのです。

「俺が君をこの土地に連れてきたせいで、こんな辛い目に合わせてしまったな、俺と一緒になったせいでこんな目に..悪かったな..」

と、普段とても厳しい父が母に誤っている声が聞こえてきました。私は少しだけ光が漏れてくる障子戸のスキマから父親の背中を見ていました。

顔は見えませんが、父の後ろ姿を見て涙をこらえている事が理解できました。

この頃の父は、「なんとか治ってもらいたい」という気持ちから、毎日、早朝6時30分に病院へ行き、母の為に診察の順番を取っていました。

そして母が病院に来たら、それから仕事に行く..

そんな日々が10年以上続きました。

 

何かに頼るしか無かった日々..

 

病院での治療も効かず、薬もダメ、飲めば副作用で余計に苦しい症状が出る。

もうどうしたら良いのか?解決方法がありません。

そんな時にある宗教団体を紹介されました。当時の私は毎週日曜日、教団に行ってお布施を納めて神に祈りました。

「神様、僕のお母さんが、頭が痛いって言っているでどうか治してください..」

「もし治らないなら、お母さんじゃなく僕が痛むようにしてください、僕がお母さんの代わりになります..」

何万回と祈ったのか分かりません。

教団の偉い人たちは、

「君の祈りはきっと神様に通じるよ」

と言ってくれました。

でも僕の疑問は、

「それはいつなんだろう..」

「いくらお金を持って行ったら願いを聞いてくれるのだろう..」

そう思っていました。毎年お年玉はお布施箱に入れていました。

「治るなら僕のお年玉はいくらでも出そう、それで治るならいくらでも..」

私は母が治りたくて一生懸命宗教団体に通っていたのですが、父は違いました。

その団体を信じていなかったのでしょう ..あまり顔を出さなくなっていったのです。

 

母の顔が笑顔に変わっていきました

 

宗教団体でいつまでも治らない日々を過ごしていたある時、整体の先生を紹介してもらいました。

そして6年生になった私は母親と一緒に治療院に行きました。

そして、そこで治療してもらった所、母の具合が変わってきたのです。

あれだけ苦しんでいた母の顔が違っていきました。本当に心から出ている笑顔です。私は長い時間、母の様子を見てきたので分かりました。

「家にお客さんが来た時に出す演技の笑顔ではない」

そして、何度か通っていくうちに完全に頭痛が無くなっていました..

私は嬉しくて嬉しくて涙が出てきました。体が弱い母は、

「早く死んでしまうのではないか?」

といつも不安に感じて生きていたので、これほど嬉しい瞬間はありません。

その整体の先生は様々な事を教えてくれました。

「病気」「症状」「痛み」についての考え方や、これから改善へ向けての実践方法..

それまでの常識では考えつかない事を学びました。

その結果、母は完全回復した肉体を手に入れる事ができたのです。

私たち家族はどこにでもあるごく当たり前の事、「笑顔で食卓を囲んで一家団らん」した生活が出来るようになりました。

私は本当に嬉しかったです。嬉しかったというより心から安心できたという言い方が合っているかも知れません。

 

将来の夢を叶える時..

 

この時の体験が私の夢や目標となりました。

私は母のように苦しむ人が治っていく瞬間、本当に安堵の気持ちを覚えたあの感動を多くの人にも体験して欲しいと願うようになりました。

小学生の頃から「整体師になる」と考えるようになったのです。

高校を卒業してすぐに東京にある長生学園という学校に入学しました。脊椎矯正を教えてくれながら国家資格を取得できるという全国でも稀な学校です。

そこで徹底して基本を学び、卒業してから修行の道に入りました。しかし、やはり実践の場は学校とは違います。

一人ひとりの体が違うのでマニュアル通りにはいきません。

しかし12年間の修行経験で10万人以上の方を診させて頂いて様々な症状に対応する事が出来るようになりました。

マッサージではなく、背骨を矯正して正していく事で人間が本来持つ「自然治癒力」が引き出せる事がわかりました。

なぜそのように改善するかと言うと、背骨の中には自律神経というものが走ります。

(自律神経とは「動く神経」と「休む神経」があると思ってください)

人はこの動く、休むを繰り返す事で生命を維持しているのですが、背骨が曲がっているとこの神経が上手に走る事ができなくなるので、体の至るところに不具合が起きてきます。

そこで病院へ行って薬物を投与してもらっても何も変化が起きない..という事になります。それならまだ良いですが、副作用で別の症状に悩まされる事が出てくるという最悪なスパイラルを生む事になります。

しかし背骨が真っ直ぐな人は神経の滞りがなくなるので、「動く」「休む」の切り替えがスムーズになり自ら回復しようと働いてくれます。

私はこの原理を理解してから良い結果が出せる治療ができるようになってきました。

 

嬉しい報告が続々と..

 

リウマチと言われ5年間も薬物を注入し続けたご婦人は、手首が腫れ上がり、ナスのように黒く変色していました。

私は「リウマチ」という結果に納得できず、自分なりの治療をしていった結果、このご婦人の手首が徐々に腫れが引いて、黒かったところが肌色に戻ってきました。

ご婦人はリウマチでは無かったのです。前腕が極度に疲労していただけだったのです。

それをリウマチと言われ5年間、薬物を投与されていた副作用で瞼が腫れ上がり、

「昔はこんな顔じゃなかったんです..」

と言われました。

しかし今回手首が治った事で薬が必要なくなり、痛みも無くなったのでお孫さんが喜んでお礼のメールをくれました。

「元気な昔のおばあちゃんに戻って安心できました、ありがとうございます」

または、

不妊治療で産婦人科に通っているのですが、

「子宮が曲がっているから、これが真っ直ぐになってから治療しよう」

と言われているんです..

という30代の女性が来てくれましたが、骨盤の調整を何度かしているうちに産婦人科の先生が驚いて、

「おお、なぜか真っ直ぐになっている!」

と驚いていたと報告がありました。

「骨盤の矯正でこんなに変わるんですね!ありがとうございます!」

と喜んで頂けました。

不思議な事ですが、背骨という場所は本当にパワーがあります。これが真っ直ぐになってくると自らの力で体を回復させる事が出来るようになってきます。

それぞれ回復速度に違いはあるかも知れませんが年齢は関係ありません。

 

私の母が治った感動を多くの人に伝えたい

 

毎日便器に顔を突っ込んで嘔吐していた母が、今では薬も全て止めて元気よく走り回れるようになりました。

その姿を見て、

「人間は誰でも幸せに生きる権利があるのに、様々な事が原因になり苦痛に耐えている..そしてそれを見守る家族も辛い思いをしている」

こんな事を考えるようになりました。人は本来は毎日笑って暮らすものだと信じています。

しかし何かのキッカケで背骨が歪み体に不具合が出るせいで、自由を奪われ、いつ回復できるか分からない不安と恐怖に怯える日々を送ることになります。

私の家庭のように病院と宗教団体に12年間も時間とお金を搾取され続ける事はないのです。

「母の笑顔を見たい」

それは幼少期の私の願いでした..

そしてその願いが叶ったあの日、私も心から笑顔を出す事ができました。

長かったです。苦しかったです。心が痛かったです。

そんな思いがまとめて体から抜けていく瞬間を今でも思い出します。

もし、あなたやあなたのご家族が痛みや苦しみに耐えているのであれば、私や母のように苦しまずに早く本来の健康を取り戻して欲しいと願います。

私は自分が体験した感動を多くに人に伝えたいという思いで、毎日治療院で過ごしております。

多分、人の笑顔を見る事が好きなのだと思います..

なので、あなたの笑顔を見る事ができたら、益々幸せな気分になります。

 

ありがとうございました。

若村 博孝

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